効率よいっていいことばかり?

  若い頃、年少児クラスの担任をした時に、反省ばかりで、悩んで苦しんでという毎日だった。1人の保育士が、20人前後の子どもたちの生活や遊びを見守り、必要な時に援助していくのだ。

 遊ぶ場面での子どもたちは、トラブルに気を付けながら、私自身も遊びの仲間に入ったり、抜けたり…と、子どもたちの笑顔に触れ、楽しい😊

 生活場面での子どもたちは、排泄、食事と今までの生活経験の違いに合わせての援助が大切だと思う。毎日子どもたちとかかわりながら、子どもたちの経験がどうなのかを知り、その援助の方法を探っていくことをしていた。これが、本当に、至難の業。私は、先輩保育士の様子をこっそり見て、真似をしていた。どうしてそうやっているのか、意味を考えている余裕はなかったが、それでも少しずつ子どもたちの笑顔に触れることが多くなり、がんばっている自分自身を認めたくなった。というか、たぶん認めていた。

 そして、それからしばらくの間、私は保育を違う方向へ進んでしまったと思う。子どもは、大人の援助が必要で、その援助の仕方によっては、効率よく成長すると。

 効率よく成長することで、保育はしやすくなったと感じた。しかし、効率よく成長することで、子どもたちが、自分で失敗したり、何かに戸惑ったり、工夫したり…と様々な大切な経験をすっ飛ばした感じがしてきた。

 そして、ある時考えた。『保育ってしやすければ、いいの?』いろいろな保育の本を読んだり、研修に参加したり、保育士と話をしたりする中で、また、闇の中?

 でも、保育士と話をしたり、本を読んで考えたり…そんなに苦じゃなかった。仲間とあーでもない、こーでもないと意見を言い合う。言われた通りにするのではなく、自分で考え、他の人の保育話で、『やっちゃった⤵』と気が付き、考え直す機会をつくる。自信を持って進む方がこわいと思う。

 保育を否定されると怖がらずに、話し合える機会は大切にしたい。保育は否定されても、自分自身を否定されたわけではない。専門職だから難しいのは当たり前。簡単には進まないと思う。

 今は、仲間と話すことができないから、さあ、途中読みの保育の本を読もっと!